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益子の文化
益子には国指定文化財をはじめ、県、町の指定するものまで、多くの文化財が残っています。
国指定文化財県指定文化財町指定文化財

伝統文化
県指定文化財1234
■ 木造弥陀如来坐像(昭和52年2月15日)
所在地/益子町大沢1770  所有者/円通寺
二重円相の光背をバックに上品上生の印を結んで台座上に結跏趺坐している。
■ 木造良栄上人像(昭和52年2月15日)
所在地/益子町大沢1770  所有者/円通寺
大沢山円通寺開山の祖良栄上人の像として伝えられていて、美しい金襴の袈裟をまとい、結跏跌坐している。
 「大沢山円通寺開山御影 元禄八年五月三日開眼供養 願主 二十三世良諦 佛師益子村 小堀長勝」の墨書がある。
■ 木造閻魔大王坐像・両脇侍像(昭和50年4月30日)
所在地/益子町益子4469  所有者/西明寺
彫刻手法は大胆にして精美、面相はその仏の様相を表現しており、納衣線など流麗である。またこれほど大きい閻魔大王はとてもめずらしく、地元では「笑いエンマ」として親しまれている。
■ 木造千手観音菩薩立像附木札六枚(平成2年1月26日)
所在地/益子町益子4469  所有者/西明寺
頭部に化仏を植付け、二条の覆輪に一段弁形の天冠台をつけ、地髪部は正面から側面にかけて細かく彫りあらわし、後頭部及び天冠台上を平彫とする。正面に合掌手を組み、左肩から右脇に条帛をかけ、天衣は両肩を被って上膊部の内側にある。掌は一段折返しの上に腰布をつけ蓮肉上に両足を広げて直立する。
 像内に弘長元年(1261)の造立の木札1枚、弘長2年(1262)の木札1枚、寛文4年(1664)の修理の木札2枚、宝暦12年(1762)の修理の木札1枚、寛政12年(1800)の修理の木札1枚、計6枚の墨書木札が納入されている。
■ 木造千手観音菩薩坐像(平成2年1月26日)
所在地/益子町益子4469  所有者/西明寺
頭頂の化仏(髻頂に如来面、天冠台上の正面に蓮華坐付の如来立像一面、左右に菩薩七面)は二段に植付ける。二条の覆輪に一段弁形の天冠台をつけ、その下に地髪部を毛彫り、他は平彫りとする。小さな水晶製の白毛相、三道彫出、耳朶環状。条帛を左肩より右脇にかけ、天衣は両肩より合掌手にかかる。腰には折返しの裳をつけ、右足を外にして結跏趺坐する。胸には瓔珞、合掌手と宝鉢手に腕釧をつける。
■ 西明寺本堂厨子内仏像群(平成4年2月28日)
所在地/益子町益子4469  所有者/西明寺
木造聖観音菩薩立像       像高   178cm
木造馬頭観音菩薩立像      像高   170cm
木造勢至菩薩立像         像高   92.5cm
木造准胝観音菩薩立像      像高  114.6cm
木造如意輪観音菩薩坐像    像高    63cm
木造延命観音菩薩立像      像高   177cm
木造毘沙門天立像         像高    78cm
木造十一面観音菩薩立像    像高   105.3cm

桧材、寄木造り、彫眼、鎌倉時代作(ただし如意輪観音菩薩坐像・延命観音菩薩立像は室町時代作)
■ 木造阿弥陀三尊像(平成2年1月26日)
所在地/益子町上大羽945−1  所有者/地蔵院
観音菩薩坐像 40.3cm 桧材、一木割矧ぎ造り、玉眼、鎌倉時代
阿弥陀如来立像 99.8cm 桧材、寄木造り、玉眼、南北朝時代
勢至菩薩立像 66.5cm 桧材、一木割矧ぎ造り、玉眼、鎌倉時代

表面の箔は寛永10年(1633)に京都の白川に住む仏師慶運によって修理された際のものである。衣文線の複雑な乱れや動きのある体?などは宋風(中国宋時代の様式)の影響を受けた作であり、慶派系(運慶一門)の仏師によってつくられた仏像である。
■ 木造阿弥陀三尊像(平成2年1月26日)
所在地/益子町上大羽945−1  所有者/地蔵院
観音菩薩立像 102.8cm 桧材、一木割矧ぎ造り、彫眼、平安時代
阿弥陀如来坐像 85.6cm 桧材、寄木造り、彫眼、平安時代
勢至菩薩立像 103.0cm 桧材、一木割矧ぎ造り、彫眼、平安時代

本像は宇都宮朝綱が建立した尾羽寺の本尊であったものを火災の際運び出したと伝えられる。
■ 梵鐘(昭和50年4月30日)
所在地/益子町益子4469  所有者/西明寺
嘉歴3年(1328)に梵鐘を鋳造し鐘楼が建立されたが、梵鐘はその後の破損のため寛文12年(1672)に鋳直し、その際旧銘を刻したと伝えられている。銘文には「一打鐘声 当願衆生 脱三界苦 得見菩提 願請賢聖 同入道場 願諸悪趣 倶時離苦 嘉歴三戊辰三月十一日 以上旧銘也 旧鐘口二尺也 今破損 故今度高橋道讃為二世安全二尺二寸鋳直会寄進者也 下野国真壁郡益子郷 独鈷山西明寺鴻鐘菜也 観音寺長栄書之 願人 尭識坊大工 大沢村藤原住 岩埼惣兵衛宗清 寛文十二壬子天南呂九日」とある。
■ 正親町天皇綸旨(昭和52年2月15日)
所在地/益子町大沢1770  所有者/円通寺
蔵人の右中弁中御門宣教が円通寺第十代住持良迦上人あてに、円通寺を勅願所(天皇の命を受け、国家安全などを祈願する寺院のこと)とする正親町天皇の綸旨の内容が書かれている。綸旨は宮中の庶務を掌る蔵人が天皇の仰せを奉じて出す文書であり、料紙は薄墨紙(宿紙ともいう)を用いるので、これを綸旨紙ともいう。当時の円通寺の地位の高さを物語る貴重な資料である。
 封紙上書に「圓通寺住持良迦上人御房 右中辨宣教」とある。
 本書には「當寺被補 勅願所候訖 宜奉祈國家安全寶祚長久者 天氣如此 仍執達如件 天正二年六月廿六日 右中辨(花押)圓通寺良迦上人御房」とある。